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都会をさまよう老婆

  • 執筆者の写真: MEI
    MEI
  • 2016年9月29日
  • 読了時間: 8分

ちまたでは、フェイスブックや、インスタなどがはやっているらしいが、わたしはブログ派である

短い文章で、その日の出来事を綴るより、その時感じたことなどを 自分なりのペースで更新できるからだ。

わたしは、昔から 文章をかくのがストレス解消になっているらしく、家には人に見せることはできないが

その時感じたことや、言葉などを書いたノートがたくさんある

それらを時々見返してみると、なつかしい思い出がよみがえり、

仕事をまったくしなくなるもんで、いいのか わるいのかはわからないが、まあ それもご愛敬ということで!

さて、そんなかんじで 過去に書いた日記を読み返してみた。

いままでいろいろな SNSに手を出してみたが 飽きっぽい私は すべて放置である・・・。

その中で結構続いたのが ミクシーだった。

ツイッターがはやる前のSNSは、短い文章で日常を伝えるというよりも、みんなけっこう 日記的な感じで利用していたのではないだろうか?

文章というものは面白いもので、その人に会わずとも、文面からその人がどういう人物なのか おおよそ推測できる。

100人中、3人くらいの割合で、「なんか こいつおもしろい」というやつがでてきて、

相手もそれを感じて仲良くなる。

そんな文章だけの 交流を楽しむ 「文友」が 結構いた。

単発短文が主流の現在 「あのころ結構たのしかったよな」と なつかしむ自分がいる。

作業場を自宅にうつし、インターネット工事もおわり、個人のブログもこうしてつくったので、

放置してた SNSをさかのぼり、自分のために 過去の日記の 引っ越しをすることにした

以下過去の日記です

^^^^^2011年11月18日の日記^^^^^^^

「都会をさまよう老婆」

実家で夕飯をつくっている最中のことだった。 テレビで大相撲観戦をしていた親父が つぶやいた。 「あ!!この着物の女の人 今日もいるよ!!」

相撲にはまったく興味がない 私だが 親父の呟きが気になったので 一緒に観戦してみることにした。 画面のなかで 力士がたたかっている。 するとその中に 確かに 着物を着た 女の人が ちらちらとうつっている。 親父いわく、その女性は 毎日同じ席にすわっており 毎日違う着物を着ているのだという。 「よほどの 相撲好きか 関係者の女だろう・・・」 親父はそう 言った。 確かに 普通に考えたら そうであろう。 しかし もし なにかちがう 意図で そこにいるとしたら・・? 妄想家の私は そこから いろいろ 考えた。 何気ない日常に 突如として起こる 不可思議な世界。 SFや オカルトは そこから始まるのだと信じている。 住み慣れた場所や 見慣れた 景色の中で こう感じたことはないだろうか? たとえば いつも通っている 通り道で 空き地になっていたり、新しい建物が突然姿を現した時。 「あれ??ここに何があったっけ・・?」と・・・。 また 「こんなところに こんなものあったけ??」と・・? 人は 物事を 見ていないことのほうが多い。 また 「みえる」や「存在する」という定義も 実は曖昧なのでは ないだろうか・・・?

私には 忘れられない 人がいる。 寒くなり始めになると 思い出す 名前もしらない どこかの他人。 今日は そんな 話。 季節は冬になろうとしていた。 当時の私は 学校を中退したものの地元に帰るのも微妙なので、東京で バイト生活に明け暮れていた。 私が住んでいた 御茶ノ水というところは、オフィス街と楽器、古本 そして学生で構成されているような街だった。 昼こそ たくさんの人で行き交っているが、夜になると 昼間の賑わいがうそのように 静けさだけがただよっている・・そんな・不思議な場所だった。 当時の私の シフトは 朝9時出勤し 店をあけ、3時に食事休憩、そのあと六時に食事休憩があり そのまま 深夜まで 週6日 というものだった。 地下にあるその店で働くということは 朝の 通勤の10分間と 両替にいく10分間以外は お日様をみれないわけで、 外が雨なのか いつ暗くなったのか まったくわからない。 まさに 地下世界の モグラのような生活。 (まあいまでも たいして 変わりはないが・・・) 休日も平日なので 誰にもあわず、図書館にいったり 映画に行ったり 自分の世界にひきこもってすごしていた。 人はそれぞれ その人の時間の中で生きている。 オフィスで働く人、学生、夜仕事の人、職人。 同じ空間にいるが それぞれのスピードはまったく 別のものである。 ながいこと モグラのような生活をしていると そのことが やけに際立ってくる。 休日のわたしは にぎやかに行き交う 人々の流れを ぼけ~~^っとみつめ、時折 公園にいるサラリーマンや 図書館で顔をあわせる ホームレス連中の 時間の流れが やけにしっくりきていることを 感じていた。 その日の休日も 昼過ぎに起き、映画を一本見終わると なにをするわけでもなく、ぶらぶらと街を歩いていた。 近くの病院を通りかかったとき、 一人の老婆が 病院の花壇に 大荷物をかかえて 腰掛けているのに 気がついた。 コンクリートと同じような グレーの髪と、グレーの洋服、 その日の 曇り空と同じような その老婆は ふかく うなだれ、 そのまま景色と一体化してしまうのではないかと おもわれた。 その老婆のことが気になりつつも 「病院帰りのタクシーでもまっているのだろうと」 わたしは そのまま 通り過ぎ、 その後図書館にいったり、買い物したりと 二時間ほど 街をうろついた。 少し休憩でもするか。 と 私が 駅ビルのテラスで シャンパン片手に 本を広げたのは 午後4時ごろであったとおもう。 千代田線の駅ビルは 次から次へと 人が 行き交っている。 本の物語りも 終盤になりはじめ 酒のビンもそろそろ空になりはじめたころ ほろ酔いのわたしの視線のさきに 先ほどの老婆が すわっている!!? 私は少しおどろいた。 そして、少し気になるのでしばらくその老婆の様子を伺うことにした。 しばらくみていると、 老婆は 一定の動きを 繰り返していることに気がついた。 駅のホームから 人が上がってくる。 すると 老婆は 立ち上がり 誰かをしきりに 探している。 人の流れが終わると 老婆は あきらめ、深くため息のようなものをつき、その場にすわる・・・。 その動きを 何回も 何回も やっていたのだ。 一番印象に残ったのは その老婆の表情だった。 立ち上がり誰かをまつしぐさの中には切羽詰ったものがあり、 あきらめて座り込むときには すごく悲しい表情をする。 わたしは どれぐらい その老婆を みつめていたのだろうか?? 外はもう暗くなり始め、肌寒さが増してきていた。 ふいに 老婆が立ち始め、そのままどこかへ歩いていってしまった。 わたしはそこでようやく その老婆に話しかける決心をし、その老婆の後をおった。 腰の曲がった老婆は 大きな手提げ袋を6つほどもってゆっくり歩いている。 帰宅時間の駅周辺は たくさんの人であふれ、あわただしいざわめきであふれていた。 「あの すみません! おばあさん!!」 老婆に話しかけた。 老婆はゆっくりこちらを見る。 顔には深々としわがきざまれ、グレーの瞳の深さに 少しめまいがした。 「・・・・・・。」 老婆は だまっている。 「突然すみません。 実はさっきからずっとおばあさんのことみてました。なにか困ったことはありませんか??」 わたしは老婆の瞳にすいこまれそうになりながらも なにか思い出すものがあった。 ・・・・あれ??このおばあさん どっかでみたことある?? 無言だった老婆は ゆっくりと瞬きして こう言った。 「わたしが 本当に 困っっているとしたら、あなた 私に 何ができるの・・・?」 予想もしていなかった 答えが返ってきたので 私は一瞬言葉につまった。 「・・・たとえば 誰かまっているならば 携帯を貸すこともできるし お金だって少しくらいはあげれますよ。」 完全に動揺していた。そんな風に返されるなんておもってもいなかったからだ。 老婆はゆっくりと わたしを見回すと そのまま 歩いていってしまった・・・。 人ごみのなかに 老婆が 消えてゆく・・・。 わたしは なんともいえない後味の悪さをかかえながら ひとつのことを思い出し、そのまましばらく その場所で 立ち尽くした・・・。 その話の3ヶ月前だっただろうか?? 仕事をおえたわたしは 深夜、 当時付き合っていた彼とファミレスにいった。 午前3時ごろのファミレスは ガラガラで 静かだった。 そこに大荷物をかかえたグレーの老人が コーヒーいっぱいで何時間もそこにいた。 その深夜のファミレスにいた老婆こそ 私がいま話しかけた老婆だったのである。 「ねえ・・あのおばあさん、どうしたんだろうね??」 「さっきから おれも気になってた・・・・・」 「なんか ブルーだね。。。。」 「ほんと なんか ブルーだね・・・」 「お互い ああいう風には なりたくないよね・・・」 ファミレスで 交わした 言葉が響く・・・。 「私が 本当に 困っているとしたら あなた なにができる・・?」 都会のコンクリートと一体化してしまいそうな 老婆は いったい何があったのだろうか?? 後日この話を 友人にすると 「そのばあさんしってる!! わたしも飯田橋のファミレスでみたよ・・・」 といっていた・・・・・。 孤独 というものを考えるときりがない。 人は誰もが 自分の時間を生きていて それだからこそ尊いものだとおもう。 寂しさや 悲しさを抱え もがいている人はたくさんいる。 それをやめてしまったら人はどうなるのだろう? 自分以外の人の心の部分は目に見えないことのほうが多いかもしれない。 それは変わってから 気がつく 日常の景色のように・・・。 寒くなると思いだす 都会をさまよう 名も知らぬ あなたの 幸せを 祈って。 END


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