文明の行方
- MEI
- 2020年1月31日
- 読了時間: 6分
更新日:2020年10月27日
なにやら仕事ばかりの毎日で 家に帰ってきてご飯を食べ、風呂に入って寝るだけの生活。。。
ありがたいことではあるのだが、元来ダメ人間の自分としては ちょっとだらだらしたい!!!
明日もはやいのだが、今日はおもいきって
「どうでもいいことを考える」という時間を自分に設けたいと思う。
昔テレビに あるどこかの部族が出ていた。
その部族の男たちは、一定の年齢になると、体に刺青をいれる文化があるらしい。
刺青を入れることが、一人前の「男」としての証であり、勇敢で偉大であることの印だそうな
ところが、テレビで取材を受けていた 若い部族の男の一人は
その刺青を入れることが 嫌らしい。
「痛いし、かっこわるいから」という理由だ。
すると、町中が、その男の子を説得したり、まわりの友達も一生懸命さそってくる。
きわめつけは、その若者の母親!!
涙をながしながら、取材陣にこう訴える。
「周りの子は どの子も刺青を入れていて、とても勇敢なのに、うちの子にはその勇気がない。
自分は、子育てをまちがえたのかもしれない。。。どうしたらいいかわからない。。」と。
結末は忘れてしまったが、
そのドキュメント番組を見ていた私は、
ついちょっと前に、高校の同級生女子会の集まりでこんな話題があったのを思い出した。
ある友人の旦那は、昔からワンポイントの刺青をいれたがっていたらしい。
しかしながら、ここは日本であり、刺青を入れるという文化を受け入れていない人も数多くいる。
嫁(友人)は、別にどうでもいいじゃないかぐらいの考えだったらしいのだが、
ある日、義理の母に
「息子が刺青をいれたがっているようだが、断固反対してほしい。もし、息子がそんなことをすることがあれば、私はあなたを恨みます」と言われたらしい。
ちなみにこの女子会での 論争は、刺青をいれる、入れないではなく
「嫁vs姑」問題なので、
もっぱらの話題は、「なんで、義理の母にそこまでいわれなければならないのか??」ということに
話題の軸があり、話題はすぐ別のものに切り替わっていたのだが、
この、前者と後者の価値観の違いというものは、実に不思議である。
わたしの勝手な予想でしかないのだが、
もし、友人の義母が、前者の部族に生まれて暮らしていたならば
「うちの子は 刺青を入れていない」という母のように 刺青ok!!みたいな価値観の人になっていたのではないか??と思う。
それで、その息子の 嫁なんかが、女子会で、
「息子が刺青をいれていないのは、お前のせいだ!!っていわれた!!」みたいな感じでいわれて、それを外野がぎゃーぎゃー言う。
女が ギャーギャー言うことは いつの時代もあまり変わらなそうであるが、
私は 常日頃から この「価値観」というものの
あやふやな正体不明のものに翻弄されることが多い。
おそらく、人はみな 自分が一番正常であると思っているとおもう。
すくなくても 私はそう思う。
そうなのではあるが、「価値観」というものは 集団の中で認識され、発展していく。
ここにひづみが生まれるのであろう・・
またある時、テレビで ネアンデルタール人とホモサピエンスの繁栄の違い
みたいな番組をみたことがあった。(我々はホモサピエンス)
人類の起源の当初、ネアンデルタール人の方が ホモサピエンスより、優秀だったらしく
それはもうすごかったらしいのだが、(どうすごいのかは忘れた)
集団で暮らし、知識を「共有」することを選んだ ホモサピエンスはその後
集団の力で 現代まで発展し
一方 優秀だったのにもかかわらず「集団」という形をとらなかったネアンデルタール人は
絶滅した。
やはり、集団である事と、知識や価値観の共有は、我々人類には必要なのであろう。
ところで、さんざんえらそうに長々と前置きしておいてなんだが、
今宵の私が最も主張したいのは、「トイレ」のことである。
レストランや新しい場所に行くと 私は ひとまずトイレにいく。
これは動物でいうところの マーキング(縄張り)かとおもいきや、単に私が頻尿だからである。
世界各国いろんなトイレがあるが、日本は「トイレ」においては最先端なのではないだろうか??
某国に留学経験のある友人は ホームステイ先で「もよおした」時、
「大か?小か?」ときかれ、小と答えたら
バケツを渡され、使用済みのそれを 窓から捨てられたらしい。
また、某国には トイレの下に 豚がいて
我々の汚物を餌にしているという完全なるリサイクル型であるとか??
溝があって、列になってするシステムだったり、
トイレの横に水がはった桶があるシステムとか
トイレ一つとっても 価値観の共有には まだまだ時間がかかりそうではあるが・・・
日本のトイレも 昔は、「ぼっとん的」なものであり、紙ではなく 縄であったらしく、衝撃をうけたし、
おふらんすに 関しては トイレそのものがなく、うんこを窓から投げて「ぼんじゅーる!!」という具合の 衝撃的な歴史を持つ。
わたしが言いたいのは、その時代や国などによって 当然「トイレ」の形もちがいがあり、
私が 紙を使わず縄を使っていた 当時の日本に衝撃を受けたように、
未来人たちが、現代の我々のトイレをどう思うか??ということ!
ひいては 「未来のトイレとはいかなるものか??」という
「トイレ進化論」なのである!!!
都会のトイレは 今ものすごいことになっている
まず勝手に電気がつき、勝手に便座があがり、勝手にながれてゆく
わたしは、まだその進化に対応できず
勝手に電気がつくことに びくつき、
便座が上がるタイミングがよめず、便座にはさまり、
流れるのか流れないのかよくわからん「間」を出してくる 便器に不安を覚える。
「をしゅれっと」もたまに ものすごい勢いで噴射してくるやつがいるから、いらっとするし、
流すときに 手をかざすシステムのところも、妙な「間」があり、この姿って けっこうまぬけだよな~と思う。
また、流してもらうことが当たり前になっているのか 機械がこわれているのか、
流れていないところもあり、
せめて、自分のものが 最終的にどうなるのか確認してから出ろよ!!と、
使う側の配慮のなさにも憤り感じる。
進化はゆっくりと 歩んでいくのだろう。
長くなったが、
色々進んではいるものの、私は 一つだけ、あまりかわっていないものがあることに気が付いた!
それは、「拭くということ」!!
この行為は全世界に共通しているものにもかかわらず
「拭かなくていい」という技術までは発展していない!
乾燥という ボタンがあるところもあるが、それだけで終わらせる人はいないであろう。
今宵、わたしの「未来型のトイレ考」というものの行きつく先は、
「拭く」という行為そのものが内蔵されているものに違いないという見解の
知識、価値観の 共有を 皆さんにしたいのであった。
TOTOさん!ぜひともがんばって 未来型トイレつくってください!
深夜に何をやっているのだろう・・・
すげえ眠いし、ほんとにくだらんことばっかり考えてるな・・自分。。。
それでは おやすみなさい
もしこの くだらない話を最後まで読んでくれた方がいらしたら、
あなたは、そうとうクレイジーか、暇人かどちらかでしょう!

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